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2018年6月14日 (木)

第32講 抱えることについて

ウィニコットという人の論文を読んでいて最初に感じるのは、それが非常に平易に書かれているようにみえる、ということだ。厳密に定義された独自の用語が次々と登場し、理詰めに展開するフロイトやクラインの論文は、やはりそれに慣れるまでは非常に読みにくいと思う。さらにユングの論文になると、博覧強記のユングが容赦なくあちこちから引用して来る、一見全く関連のなさそうな膨大な知見が次々に並列され、あれよあれよという間にそれらが直観的に結び付けられて、ある一つの結論に落とし込まれてしまう。その過程があまりに飛躍的過ぎて、一読しただけでは何がなんやらわからない。それらに比べると、ウィニコットの論文は口語的というか、ある意味全てが日常語ばかりなので、一見すらすら読めてしまうのである。

 

 これについて、藤山直樹は「ウィニコットは英語で初めてオリジナルなことを書いた人の一人なんですよ」と指摘している。フロイトは英語が堪能だったけど、もともとドイツ語で思考して書いていたわけだし、クラインもドイツで書いて英語に訳され、それがまた日本語になっていたりするわけだ。しかし、ウィニコットは英語で考え、英語で自分の理論を作り上げている。だから a going-on-being というような言葉が重要なテクニカル・タームになっていたりする。要するに「進みゆく存在」みたいなことなんだろうけど、たぶん英語話者なら日常用語的な感覚で理解できるんだろうな、と思う言葉である。ウィニコットは罪悪感 guilt なんていう堅い言葉を使わずに、代わりに concern を使っていたりする。日本語では「思いやり」などと訳されているが、実際にはもっと柔らかい日常語なのだろう。

 

 「(ウィニコットの文章は)だから非常に詩的でメタフォリカルで、しかも一見和語的な言葉が多いから非常にわかりやすく感じる。わかった気になりやすい。あと逆説が極度に多用されている。たとえばウィニコットの重要な概念である可能性空間 potential space なんかについては“お母さんと子どものあいだにあって、しかしどこにもない場所”とか書いてあるんですよ。何それ?という感じになりますよね。“子どもの内側でもあり外側でもあり、しかしどちらでもない”とかね。あるいは、子どもは移行対象を発見する、かつ創造するとかね。発見というのは自分の外部にあることを見出すことだし、創造というのは自分で考えだすことでしょう。普通それは全く対極的なんだけれども、“子どもは移行対象を発見し、かつ創造する。それを発見したのか想像したのかを聞くことはないというルールがそこにある”とか言って、誰がルール作ったんだ?という、そういう書き方をするわけです。そういう書き方がウィニコットの特徴ですね。」

 

 さすがに藤山の指摘は鋭い。藤山に言わせると、ウィニコットのこういう逆説的な書き方というのは、誰にも文句を言わせない、つまり議論を拒否しているということでもある、ということになる。そこがウィニコットという人を嫌いな人はとことん嫌いだし、クライン派の人たちが彼を評価しないポイントなんだ、というわけだ。確かに論理的と言うよりは、ふわふわしたところのある、曖昧さを残した論文だと私は思う。しかし、逆に言えば徹底的に突き詰め、直線的に煮詰めていくようなクラインのやり方では抽出できないものをウィニコットは捉えているのだ、という風に言えなくもない。ウィニコットという人が生涯をかけてずっと注視し続けたもの。それはそういう、まさに曖昧なものだった。つまり、それは乳児を抱きかかえる母親と子どもの、その一体化したユニットの中に漂っている何か。乳児でもなく、母親でもなく、その内側にあるとも、外側にあるともいえない、目に見えない繋がりのようなもの。それがウィニコットのフィールドだったのである。

 

 ウィニコットの遺した数多い魅力的な警句の中で、もっとも有名な言葉といえば「一人の赤ん坊というものはいない There is no such thing as an infant」であろう。これは1940年代の初め頃、英国精神分析協会のある集まりで述べられた言葉だったらしい。それが今回取り上げる論文、「親-乳幼児関係の理論(1960)」の脚注に述べられている。ウィニコットはこの論文の中で、フロイトの論文「精神機能の二原則に関する公式」に触れて、そこには再早期の発達において絶対的依存というものが当然のこと、と見做されているが、ただそうなのではなく、人間が存在し始めるためにはもっといくつもの条件が必要だ、と主張している。そして、そのうち最も重要なものが環境によって抱えること holding なのだ、と述べているのである。

 

 このウィニコットの中心的概念の一つである抱えること holding について、舘直彦は著書「ウィニコットに学ぶ」の中で、それが着想された背景として、ウィニコットの二度目の妻となったクレアの影響が大きいと考えられている、と述べている。彼は小児科医として出発した1923年にマリーズ・アリス・テイラーと結婚しているが、ほぼ同時にストレイチーとの教育分析を受け始めている。そのきっかけとして彼自身が狭心症様の心因性発作やインポテンツの問題に悩んでいた、ということがあったようだ。夢を見ることが出来ない、というような外傷性の反応もあったようだから、この最初の結婚による家庭生活は、あまりうまくいかなかったのかもしれない。1941年に第二次世界大戦が勃発し、ロンドンが空襲に襲われるようになると、彼は数少ない専門家として疎開児童のコンサルテーションに携わるようになった。そのオックスフォード州でのコンサルテーション業務で、彼は後に再婚することになるケース・ワーカーのクレア・ブリトンと出会うのである。疎開児童たちを診る中で、ウィニコットは母性剥奪の問題に直面し、その後の子どもの愛着障害や非行、反社会的傾向について深く考察することになった。その中で、彼は内的幻想が重要であることは否定しないものの、環境も同じくらい重要であることを主張するようになっていく。どうやら彼は、非行の子どもにほどよい環境を提供することの重要さを主張するあまり、実際に非行の子どもを自分の家で預かってみて大変な目に遭った、ということがあったようだ。

 

 クレアはワーカーという仕事柄もあって、もちろん環境論者だったわけだが、それ以上に当人がとても母性的な人であったようだ。そのことがウィニコットに影響を与えたことは想像に難くない。1945年に第二次世界大戦が終結後、1949年にはウィニコットはアリスと別居する。その前後、二回の狭心発作をウィニコットは経験している。そして1951年にアリスと離婚し、クレアと再婚するのである。同じ年「移行対象と移行現象」を発表したウィニコットはクラインから決定的に距離を置くことになり、独自の径を歩み始める。クレアとの結婚は、ウィニコットに平穏と自信をもたらしたようだ。1956年にはイギリス精神分析協会の会長に就任。この頃からウィニコットはBBC放送でラジオ番組を担当したり、非専門家に向けて講演や一般紙の寄稿を盛んにするようになるなど、社会的な活動を強めていく。「親-乳幼児関係の理論」はそうした時期を経て1960年に書かれたのである。

 

 この論文の序論の部分でウィニコットは、フロイトやそれを引き継いだクラインの欲動論(リビドー論)が充分ではない、ということを強調している。乳児の中で何が起きているか、ということを見つめることはもちろん大事だ。しかし、乳児は単体で乳児として存在しているわけではない。実際には乳児は、その養育に深く没入する母親に抱えられて存在している。フロイトは常に大人の患者の精神分析から得られた結果を元に、乳幼児のこころを推測していた。クラインは直接乳児を観察し、分析治療を行いながら理論を構築したが、乳児そのものに注目し過ぎており、環境や母親の存在やその影響を無視し過ぎている。ウィニコットはこのように述べて、乳児 infant でもなく、養育 maternal care でもなく、「乳幼児と母性的な養育という一つのユニット」で何が起き、発展しているのかについて語ろうとするのである。

 

 ウィニコットがここで述べている乳幼児というのは、非常に幼い子ども、つまり言語を用いる以前の時期の子どものことを指している。ウィニコットは本論で、この時期の人間の乳幼児というのは「ある種の条件がないと存在し始めることが出来ない」と述べている。そして、その鍵となるものが「依存 dependency 」だと述べている。乳児自身の持つ本来の生得的な力が、発達のもっとも重要な要素であるのは確かなことだ。しかし、それは母性的な養育に結びつかないと潜在力のままであり、展開しない。つまり「乳幼児は乳幼児になれない」とウィニコットは考えるのである。その展開の過程を、ウィニコットは互いに重なり合いのある三つの段階に分けて提示している。第一段階は「抱えること」。第二段階は「母親と乳幼児が共に生きること」。第三段階が「父親、母親、乳幼児の三者が共に生きること」である。ちなみに、父親はここでは「母親のために環境を調整する」機能を担うものと定義されており、第二段階までは乳幼児はそれに気がついていない、としている。

 

 もっとも初期の「抱えること」の段階では、まだ乳児は乳児でなく、母親も母親ではない。乳児と母親は一体化して融合しており、「共に生きる」という段階にも達していない。そして、その状況を説明するウィニコットの表現が、例の有名な「一人の赤ん坊というものはいない There is no such thing as an infant」なのである。ウィニコットはこの時期の特徴を次のように列挙している。(1)一次過程 primary process であること。(2)原初の同一化 primary identification がみられること。(3)自体愛 autoerotism の段階にあること。(4)一次的ナルシシズム primary narcissism であること。「一次過程」というのは、フロイトが1912年に書いた論文「心的現象の二原則に関する定式化」の中で述べているもので、乳児の原始的な心のありようを表現した言葉である。赤ん坊には言葉がないため、概念によって思考することができない。だから空腹であっても、それを「空腹」だと認識できないし、「おなかすいたなぁ」と思うこともできない。だから非常に具体的に、それを腹部に押し込まれた苦痛として感覚的に認識し、反射的にそれを押し出そう、体外に投げ出そうとして体をよじり、激しく泣くのである。何かがそこに「ある」、それとも「ない」という二者択一的で、具体的かつ反射的なこころ。それが一次過程のこころである。このような状態の赤ん坊がただ環境に投げ出され、保護を受けずにいるとどうなるか。赤ん坊の苦痛は次第に高まり、それに引き裂かれて体はばらばらになり、虚無に飲み込まれてしまう。そういう破滅的な不安を赤ん坊は味わうことになるだろう。しかし、それを身体的に「抱っこ」してくれる母親がおり、その母親と一体化することができれば、かろうじて赤ん坊はその破滅から逃れることができる。それを可能にしているのが原初の同一化である。

 

 母親という環境に包まれ、それと一体化して抱えられること。それによって乳児は初めて存在し始めることができる。乳幼児は「ユニット状態」の中に初めて存在が許される。それがウィニコットの言う「抱えること holding」の意味である。それが達成されて初めて、乳児のこころが身体に棲みつき、一人のパーソンとして息づき始める。運動機能と感覚機能が発達しはじめ、その結果皮膚の表面の感覚が境界膜 limiting membrane として結実し、「自分」と「自分でないもの」を分かち、内部と外部ができはじめる。それが身体図式のはじまりである。内部と外部ができてはじめて、取り入れ introjection や排出 excretion のような原始的な防衛機制が意味を持つようになる。母親は乳児と一体化しつつ細やかに乳児の苦痛に対処し、そのことが乳児の万能的なこころの存在の基盤を作る。自体愛的で、一次ナルシシズム的な乳児の内的な精神的現実が育まれ、それが知性の発達の夜明けとなる。やがて二次過程 secondary process や象徴機能 symbolic function が出現し、その子ども独自の精神内界が生まれてくる、というのがウィニコットの述べる乳幼児の発達である。

 

 ウィニコットは「抱えることには、特に、乳幼児を身体的に抱えるという意味が含まれるが、それは愛情表現の一形式である。これはおそらく母親が乳幼児たいして自分の愛を示すことが出来る唯一の方法だろう」と述べている。母親の提供する母性的養育は、もちろん赤ん坊の生理的欲求に応え、物理的な侵害から守るということなのだが、それが「頼り得るもの」になるのは、そこに母親の共感が含みこまれるからである、と指摘している。逆に言えば、機械的な保護や養育は「抱えること」の代わりにはならない、ということなのであろう。第18講で述べたように、ボウルビィもまた、この母性的養育というものを重視して取り上げた分析家だった。彼はその欠如がどのようなダメージを乳幼児に与えるのかを観察し、そこから愛着 attachment という概念を導き出したわけだが、彼の述べる愛着という概念は反応性愛着障害のような愛着形成の不全状態については極めて有用な知見を提供した一方で、健康で豊かな乳幼児の育ちやその養育についても同様に有用な知見を提供したとは言い難い。それは、ボウルビィが愛着概念を産み出すにあたり、その論拠を動物生理学に求め、人間という種に事前にプログラミングされた、ある種の動物的本能の発達過程としてそれを描き出そうとしたからである。そこにウィニコットとの決定的な相違がある。ウィニコットは赤ん坊のこころを産み出すには、乳児と一体化して一つのユニットを形成するほどに献身的な、母親の養育への没入が不可欠であることを初めて明確に主張した精神分析家だったのである。

 

 ウィニコットは「乳幼児を抱くことができる母親がいる一方で、抱くことのできない母親もいる。」と指摘したうえで、こうした母親の献身的な養育への没頭、つまり「抱えること」の重要性を、乳幼児のもつ本能そのものの発達や展開より上位に置いた。ウィニコットに言わせれば「本能満足や対象関係を、自我組織化という事態以前に持ってくるのは間違っている」ということになる。逆に、乳幼児の最初の対象関係の確立と最初の本能満足の経験は、この「抱えること」があって初めて導かれるのであり、それは本能発達の前提条件なのだ、というのがウィニコットの主張である。乳幼児の発達がうまくいっている場合、こうした献身的な母性的養育の過程はほとんど気づかれることがない、とウィニコットはいう。「この環境からの供給は、生物組織の活性が継続することや、乳幼児に静かではあるが、決定的に重要な自我支持を提供する機能的な健康の継続でもある」のであり、その一方で「環境からの供給の失敗は、将来的な精神病の発症の基盤を準備することにもなる」とウィニコットは述べている。自我の歪曲や、原初的不安に対する過剰な防衛といったことを、乳幼児個人の資質や本能発達の側面から論述すべきではない。そこには確実に環境からの供給の失敗という悪影響がある、というのがウィニコットのクライン派への批判である。

 

 この「親-乳幼児関係の理論」という論文の最後に、ウィニコットは出産の前後で母親に起こる変化について語っているのだが、それを「母性本能」と呼んでしまうと大事なことが見失われてしまう、と主張している。何故なら、妊娠に際して母親に起こる変化は、もちろんホルモンなどによる生理的な要素も大きいが、間違いなくそこには「母親になる」という心理学的な要因が関与しているのであり、それは本能とは異なったものだからである。こうした視点の持ちように、小児科医として母子を見守り続けたウィニコットの本分が潜んでいるように、私には思われる。

 

鳥類にみられる刷り込み imprinting の研究をもとに愛着概念を発想した、ボウルビィの発想ともウィニコットのそれは異なっている。もちろん、オキシトシンを鼻腔内に噴霧したら自閉症者の対人関係が急転して良好なものになるかもしれない、というような生物学的研究を推進するバイオロジカルな発想とも、それはまるで異なるものである。そして、ウィニコットの提示するこの臨床的な視点こそが「精神分析的な手触り」というものではないか、と私は考えるのである。いや、私はそれらの優劣を論じたいわけではない。ただ、それらの個々の視点というものが如何に異なったものであるのか、ということを言いたいのである。もちろんこうした異なる視点から見えるものには、それぞれに欠点と利点があるのだろう。しかし精神療法という、あの患者を実際に目の前にして、具体的にどう振る舞うべきかが差し迫る「あの場面」において、決定的に必要になるのはやはり、このウィニコットの持つ「精神分析的な視点」ではないかと私は思うのだ。実際ウィニコットは、受胎して自分の胎内で起きている変化に着目するようになった母親について、それと「転移の中で非常に早期の段階を生き直している患者のニードに合わせている分析家」が重なってみえる、と述べている。これは、とてもウィニコットらしい指摘だと思う。もちろん母親と違い、分析家たるものは「患者の未熟さや依存性に対して、自分の中で生じている感受性について自覚していなければならないわけだが」と、ウィニコットは精神分析に不可欠な、あの自分の無意識に対する病識を持ち続けることの必要性についての警句も忘れない。

 

胎内にいる赤ん坊を想い、その声を聞こうとし、一体化しようとする。その母親の非常に強力な感受性の機能のことを、ウィニコットは投影同一視 projective identification と呼んでいる。乳児の絶対的な「依存」があり、それを引き受けて抱える母親の「投影同一視」がある。まだ一人のパーソンではないその存在をユニットとして引き受け、まだ存在しない乳幼児のこころ、というのものが、まるでそこに「ありありと存在している」かの如く扱い、乳幼児のニードに対して生き生きと母親が適応してみせること。そのことによって乳児は初めて発達し始めることができる。そこに人間という存在の基盤を理解すること。それがウィニコットの「抱えること holding」である。そして、それを理解することは、患者を癒そうとする臨床家の態度や心持を考える時にも、極めて重要な基盤を提供しているように私は思うのである。

 

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